阪神タイガースのファンなら一度は耳にしたことがある「永久欠番」。
阪神タイガースには、球団の歴史と誇りを象徴する3つの永久欠番があります。
それは、初代ミスタータイガースと呼ばれる藤村富美男、ザトペック投法で名を馳せた村山実、そして今牛若丸と称された吉田義男の背番号です。
この記事では、彼らの偉大な功績とともに、阪神の名誉番号(準永久欠番)についても詳しく解説します。さらに、セントラル・リーグとパシフィック・リーグの他球団の永久欠番についても紹介し、野球ファン必見の内容となっています。
≡記事のポイント
・藤村富美男、村山実、吉田義男の背番号が永久欠番に指定された理由を知ることができる
・阪神タイガースの名誉番号(準永久欠番)の意義と該当する選手について学べる
・他のセントラル・リーグおよびパシフィック・リーグの球団の永久欠番についても理解できる
阪神タイガースの永久欠番と名誉番号
・11番 「2代目ミスタータイガース」 村山 実
・23番 「今牛若丸」 吉田 義男
・名誉番号(準永久欠番)は誰? 鳥谷? 藤川?
10番 「初代ミスタータイガース」 藤村 富美男
阪神タイガースの永久欠番である背番号10は、藤村富美男氏にちなんでいます。
藤村氏は「初代ミスタータイガース」として知られ、その偉業は今なお語り継がれています。彼のプレースタイルは非常に独特で、特に物干し竿と呼ばれる長いバットを使った豪快なスイングで多くのホームランを放ちました。藤村氏は戦前から戦後にかけて日本プロ野球を支え、特に戦後初のランニングホームランを記録したことが記憶に残ります。
藤村氏の背番号10は阪神タイガース創設以来、彼一人しか背負ったことがなく、これは他球団の永久欠番にも見られない特徴です。このことから、真の永久欠番と称されることがあります。実際、彼の背番号10は球団創設メンバーとしての特別な意味を持ち、その功績を永遠に称えるために永久欠番とされました。
藤村富美男氏の背番号10は、そのプレーの偉大さと球団への貢献度から、永遠に阪神タイガースのシンボルとして残るべきものです。このような偉業を持つ選手がいたことは、阪神ファンにとって大きな誇りです。
参考資料: 藤村富美男 Wikipedia
11番 「2代目ミスタータイガース」 村山 実
村山実氏が背負った背番号11もまた、阪神タイガースの永久欠番として知られています。
彼は「2代目ミスタータイガース」として、圧倒的な存在感を放ちました。特に「ザトペック投法」と呼ばれる独特のピッチングフォームは、ファンの記憶に深く刻まれています。村山氏の投球は、シーズン防御率0点台を記録するなど、数多くの記録を樹立し、日本プロ野球史に残る名投手として評価されています。
村山氏の背番号11は、阪神タイガースが戦後の復興期において強力なピッチングスタッフを構築する上で欠かせないものでした。彼は藤村富美男氏の引退試合でデビューし、その後も藤村氏の背番号10を引き継ぐ形でタイガースを牽引しました。このエピソードは、タイガースの歴史において非常に象徴的です。
このように、村山実氏の背番号11は、彼の偉大な投球技術と精神力を象徴するものとして、永久欠番とされました。彼の背番号11が阪神タイガースの一部として永久に残ることは、ファンにとって誇りであり、次世代の選手たちへの励ましとなっています。
参考資料: 村山 実 Wikipedia
23番 「今牛若丸」 吉田 義男
吉田義男氏の背番号23もまた、阪神タイガースの永久欠番です。
吉田氏は「今牛若丸」と称され、俊足巧打、そして優れた守備力を誇る遊撃手として知られていました。彼は入団1年目から16年間にわたりレギュラーとして活躍し、1964年には生涯唯一の打率3割を達成しました。また、179打席連続無三振という記録を持ち、タイガースのセ・リーグ優勝にも大きく貢献しました。
吉田氏が引退した後、背番号23は誰も使用せず、1987年の退任時に正式に永久欠番として指定されました。吉田氏の背番号23が再び使われることなく、タイガースの歴史に刻まれているのは、彼の功績の大きさを物語っています。
このように、吉田義男氏の背番号23は、彼の卓越した技術とリーダーシップを象徴しています。彼のプレーは多くのファンに愛され、その影響は今もなお続いています。吉田氏の背番号23が永久欠番とされることは、阪神タイガースの伝統と誇りを守る重要な要素となっています。
参考資料: 吉田 義男 Wikipedia
名誉番号(準永久欠番)は誰? 鳥谷? 藤川?
阪神タイガースには、球団に多大な貢献をした選手たちに敬意を表し、「名誉番号(準永久欠番)」と呼ばれる特別な背番号があります。名誉番号は永久欠番とは異なり、一時的に使用が停止されることがありますが、特定の選手の偉業を称えるために後継者が現れるまで再び使用されない場合もあります。
名誉番号(準永久欠番)として知られている選手には、金本知憲、掛布雅之、藤川球児の3名が挙げられます。
番号 | 選手名 | 名誉番号(準永久欠番)までの経緯 |
---|---|---|
6 | 金本知憲 | 金本知憲は広島からFAで加入し、阪神タイガースの主力打者として活躍しました。2003年に加入し、2005年にはMVPに輝き、阪神の2度のリーグ優勝に大きく貢献しました。特に、1492試合連続フルイニング出場を果たした「鉄人」として知られ、ファンからも愛されました。金本が現役を引退した後、この背番号6は一時的に使用されていませんが、新たな後継者が現れるまで名誉番号として扱われています。 |
31 | 掛布雅之 | 掛布雅之は「最後のミスタータイガース」と称される名選手であり、阪神タイガースの主砲として活躍しました。彼の背番号31は、彼の引退後も次世代の主砲候補の選手に与えられ続けています。掛布が二軍監督として再び31番を着用した際には、改めてその背番号の凄さが強調されました。掛布の背番号31は、彼の功績を称え、後継者が現れるまで名誉番号として扱われています。 |
22 | 藤川球児 | 藤川球児は阪神タイガースのリリーフエースとして、特に2005年のリーグ優勝に大きく貢献しました。彼の「火の玉ストレート」と称された直球は多くのファンに愛され、日米通算245セーブという記録を持っています。藤川の背番号22は、彼の引退後、名誉番号として扱われることとなり、彼に匹敵する新たなリリーフエースが現れるまで使用されないことになっています。 |
阪神の永久欠番のほか11球団の永久欠番を紹介
・パ・リーグ:オリックス、西武、楽天、SB、日本ハム、ロッテ
・阪神タイガースの永久欠番と名誉番号を総括
セ・リーグ:巨人、広島、中日、横浜、ヤクルト
読売巨人軍
巨人軍の代表的な伝統ある永久欠番。
まず、背番号1の王貞治氏は「世界のホームラン王」として知られ、868本塁打の世界記録を樹立しました。王氏の背番号1は、1980年の現役引退後、1989年に永久欠番となりました。彼の存在は巨人軍の象徴ともいえるもので、多くのファンに愛されています。
次に、背番号3の長嶋茂雄氏は「ミスタージャイアンツ」として、巨人軍の黄金時代を築きました。彼の背番号3は、1974年の引退後に永久欠番となり、その後も監督として巨人軍に貢献しました。長嶋氏のプレースタイルとリーダーシップは、多くの若い選手たちに影響を与え続けています。
背番号14の沢村栄治氏も忘れてはなりません。彼は日本プロ野球初期の伝説的な投手であり、1944年の戦死を受けて永久欠番に指定されました。沢村賞にその名が残るように、彼の功績は今でも語り継がれています。
広島東洋カープ
広島東洋カープの代表的な三つの永久欠番。
まず、背番号3の衣笠祥雄氏は「鉄人」として知られ、2215試合連続出場の世界記録を持っています。彼の背番号3は、1987年の引退後に永久欠番に指定されました。衣笠氏の連続試合出場記録は、彼の不屈の精神と努力の賜物であり、カープの象徴ともいえる存在です。
次に、背番号8の山本浩二氏は「赤ヘル軍団」のキャプテンとして活躍し、通算536本塁打を記録しました。彼の背番号8は、1986年の引退後に永久欠番となりました。山本氏は、その打撃力とリーダーシップでカープを何度も優勝に導き、多くのファンに愛されています。
また、背番号15の黒田博樹氏も注目すべき存在です。彼はメジャーリーグからカープに復帰し、チームを支え続けた功績から、2016年に現役引退後、永久欠番となりました。黒田氏の背番号15は、彼の誠実なプレースタイルとチーム愛を象徴しています。
中日ドラゴンズ
中日ドラゴンズの代表的な二つの永久欠番。
まず、背番号10の服部受弘氏は中日ドラゴンズの初代エースピッチャーとして知られ、1950年に中日の初優勝に貢献しました。彼の背番号10は、1960年の引退後に永久欠番となりました。服部氏の卓越した投球技術とリーダーシップは、ドラゴンズの基盤を築く上で欠かせないものでした。
次に、背番号15の西沢道夫氏は、強打者としてチームを牽引しました。彼は、1946年から引退まで中日ドラゴンズ一筋でプレーし、1959年の引退後に背番号15は永久欠番に指定されました。西沢氏の打撃力と献身的なプレースタイルは、多くのファンに愛され続けています。
横浜DeNAベイスターズ
横浜DeNAベイスターズには、現時点で正式な永久欠番はないです。
しかし、名誉番号(準永久欠番)として扱われているものが存在します。
背番号18は三浦大輔氏が長年にわたり使用していた番号です。三浦氏は「ハマの番長」として知られ、引退後もファンからの支持が厚く、この番号は一時的に凍結されています。彼の投球スタイルとリーダーシップは、後世に伝えられるべき価値があります。
2019・20年には三浦自身がコーチ・二軍監督として着用したが、2021年の一軍監督就任と同時に81に変更。2022年から小園健太に譲った。
ヤクルトスワローズ
ヤクルトスワローズには、現時点で正式な永久欠番は存在しませんが、名誉番号(準永久欠番)として特定の番号が複数存在します。
まず、背番号1は若松勉氏が使用していた番号で、彼はヤクルトスワローズの黄金時代を築いた中心選手の一人です。若松氏は通算2057安打を記録し、1989年の引退後、この番号は特別な意味を持つようになりました。彼の打撃力とリーダーシップは、チームの歴史に深く刻まれています。
また、背番号27の古田敦也氏も名誉番号として扱われています。古田氏はキャッチャーとして数々の記録を樹立し、スワローズの黄金時代を支えました。彼の引退後、背番号27は特別な存在として扱われており、彼に匹敵する新たなスター選手が現れるまで使用が控えられています。
パ・リーグ:オリックス、西武、楽天、SB、日本ハム、ロッテ
オリックス・バファローズ
オリックス・バファローズには、現在のところ正式な永久欠番は存在しませんが、名誉番号(準永久欠番)として扱われる背番号があります。
まず、背番号51はイチロー選手が使用していた番号です。イチローはオリックスでの輝かしいキャリアをスタートさせ、その後MLBでも偉大な成績を残しました。彼の引退後、この番号は事実上の名誉番号として扱われています。イチローの卓越した打撃技術とプロ意識は、球団の誇りとして後世に伝えられています。
また、背番号7は福本豊氏のものです。福本氏は「盗塁王」として知られ、数々の記録を打ち立てました。彼の引退後、この番号は特別な意味を持つ番号として扱われ、後に続く選手たちに大きな期待がかかります。福本氏の俊足と積極的なプレースタイルは、オリックスの伝統を象徴しています。
西武ライオンズ
埼玉西武ライオンズには、正式な永久欠番が存在します。
背番号24の稲尾和久氏は「鉄腕」として知られ、西鉄ライオンズ(現・西武ライオンズ)で多くの記録を残しました。稲尾氏の背番号24は、彼の引退後、永久欠番として指定されました。稲尾氏の卓越した投球技術と精神力は、球団の歴史に深く刻まれています。
楽天ゴールデンイーグルス
東北楽天ゴールデンイーグルスには、二つの永久欠番が存在します。
まず、背番号77の星野仙一氏は、楽天イーグルスを初の日本一に導いた監督として知られています。彼の背番号77は、2018年に彼が急逝した後、永久欠番として指定されました。星野氏の指導力と情熱は、楽天の歴史に深く刻まれています。
また、背番号10は「ファンナンバー」として、特別な意味を持っています。楽天イーグルスは、この番号をファンへの感謝の象徴として扱い、永久欠番としています。この背番号は、ファンと球団の強い絆を象徴し、試合中にもその存在感を示しています。
ソフトバンクホークス
福岡ソフトバンクホークスには、正式な永久欠番は存在しませんが、名誉番号(準永久欠番)として特定の背番号が特別な意味を持っています。
まず、背番号89は王貞治氏が監督時代に使用していた番号です。王氏はソフトバンクホークスの前身である福岡ダイエーホークス時代から監督を務め、チームを日本一に導いた功績があります。彼の引退後、この背番号89は名誉番号として扱われています。王氏のリーダーシップと指導力は、球団の誇りとして後世に伝えられています。
また、背番号15も特別な意味を持っています。藤井将雄氏は現役中に病死し、その後この背番号は凍結されました。藤井氏の努力と闘志は、ホークスの歴史に深く刻まれています。彼の背番号15は、ファンや選手にとって特別な存在です。
日本ハムファイターズ
北海道日本ハムファイターズには、一つの永久欠番が存在します。
背番号100は大社義規氏にちなんでいます。大社氏は日本ハムファイターズの創設者であり、2009年に野球殿堂入りを果たしました。彼の功績を称え、背番号100は永久欠番とされました。大社氏のリーダーシップとビジョンは、球団の基盤を築く上で重要なものでした。
千葉ロッテマリーンズ
千葉ロッテマリーンズには、正式な永久欠番は存在しませんが、名誉番号(準永久欠番)として特定の番号が特別な意味を持っています。
まず、背番号26は「ファンナンバー」として扱われています。この番号は、ファンへの感謝と敬意を示すためのものであり、スターティングメンバーの一員としてファンを象徴しています。背番号26は、試合中にベンチに飾られ、ファンとの絆を強調しています。
また、背番号9は福浦和也氏に関連しています。福浦氏は長年にわたりロッテの主力選手として活躍し、2019年に引退後、この番号は一時的に凍結されました。福浦氏の卓越した打撃技術とチームへの貢献は、ファンや選手にとって特別な存在です。
阪神タイガースの永久欠番と名誉番号を総括
記事のポイントをまとめます。
・藤村富美男の背番号10は唯一の真の永久欠番
・藤村富美男は「初代ミスタータイガース」として知られる
・藤村富美男は物干し竿と呼ばれる長いバットで多くのホームランを打った
・村山実の背番号11も阪神の永久欠番
・村山実は「ザトペック投法」と呼ばれる独特のピッチングフォームを持つ
・村山実はシーズン防御率0点台を記録するなどの名投手
・吉田義男の背番号23も永久欠番
・吉田義男は「今牛若丸」と称される俊足巧打の遊撃手
・吉田義男は1964年に打率3割を達成し、179打席連続無三振の記録を持つ
・阪神タイガースには名誉番号(準永久欠番)も存在する
・金本知憲の背番号6は名誉番号として扱われている
・掛布雅之の背番号31も名誉番号である
・藤川球児の背番号22も名誉番号として扱われる
・名誉番号は、一定期間使用されず、後継者が現れるまで凍結される
参考資料:
野球界の永久欠番-Wikipedia
阪神タイガース 永久欠番指定される背番号と選手たち
阪神タイガースの欠番